火星の水の痕跡にまつわる驚きの発見が、2つの探査機による調査からもたらされた。
まず、中国の「祝融号(しゅくゆうごう)」が発見したのは、この星の砂丘がわずか40万年前、霜によって硬い表面層をもつようになったかもしれないという報告だ。2021年に初めて見つかった、砂丘が硬い表面層に覆われているという特徴をまとめた論文が、2023年4月28日付けで学術誌「Science Advances」に発表された。
また、そこからさらに西の方では、NASAの「パーシビアランス」が、ジェゼロ・クレーターに勢いよく流れ込んでいた急流らしき痕跡を見いだした。砂州と見られる岩盤の高さからは、場所によっては深さ20メートルを超えているところもあったと推測されている。もしここが本当に川だったなら、これまで火星で見つかった中で最も深くて速い流れであり、太古の火星の水のあり方について科学者は再考を迫られるとNASAが発表している。
いずれの発見も「ほかの惑星の表面を調べることには大きな価値があるという事実を示しています」と、米ブリガムヤング大学の研究者ジャニ・ラデボー氏は言う。「探査機を送り込むたびに、新しい発見があるのですから」。なお、氏はどちらのミッションにも関与していない。
以下、それぞれの発見について解説する。
40万年前の砂丘の霜
中国が火星のユートピア平原に祝融号を着陸させたとき、研究者の間では、ここを着陸地点として選んだことについて疑問の声も聞かれた。宇宙からの観測により、この地域ではかつて洪水があったか、ここに海が存在したのではないかという説が浮上していた一方で、結晶中に水を多く含む鉱物は検出されなかったからだ。
祝融号がその意義を示すのに時間はかからなかった。地表付近に水があったことを示唆する痕跡がすぐに確認され、一帯には含水鉱物があることも発表された。地中レーダーによる調査結果はまた、約30億年前にここで鉄砲水が発生したことを示していた。
祝融号が今回発見したのは、火星表面における水の存在を示すさらなる証拠、しかも、より新しい時代のものだ。
祝融号周辺の砂丘には、水と鉱物から形成されたと見られる薄くて硬い表面層が存在する。この水をもたらしたのは、過去に砂丘におりた霜、あるいは数十万年前に火星の傾きによってこの地域に降った雪である可能性がある。霜や雪が塩と混ざって融点が下がった場合、気温の変化によってそれらは融解しただろうと考えられる。
硬い表面層には多角形の隆起が見られ、そこに入った亀裂は、この層が長い間収縮と膨張を繰り返してきたことを示している。「ちょうど泥に入る亀裂のようなものです」と、砂丘を研究するラデボー氏は言う。「こうした収縮と膨張を示す特徴の存在からは、比較的最近、あるいは現在進行形で、この砂丘地帯で湿潤と乾燥が起こっていることがわかります」。探査機による気象観測は、着陸地点付近では今も水蒸気によって霜が降りる可能性があることを示唆している。
ただし、この水が液体になったことがあるかどうかについてはまだわかっていない。米ブラウン大学の惑星科学者で、NASAの火星探査車「キュリオシティ」のミッションに参加したラルフ・ミリケン氏によると、火星の塵には、空気中から水蒸気を吸収する鉱物が豊富に含まれているという。もし砂丘の表面がその物質に覆われているなら、水は一度も液体にならないまま、季節ごとの湿度の変化に応じて水蒸気として塵に吸収されたり、放出されたりを繰り返していたということもあり得る。
それでもラデボー氏は、隆起の亀裂に浸透して広げるには、液体の水が必要だっただろうと考えている。「大量に必要なわけではありません」と氏は言う。「ただ、それが何度も繰り返されればよいのです」
ラデボー氏によると、これと似たような硬い表面層と多角形の隆起は、火星の別の場所でも見られるが、砂丘では確認されたことがないという。
「こうした地形は、火星の多くの場所で形成されていると考えられます。このプロセスは、地質学的には近いと言える過去において、火星の広範囲に起こっていることなのかもしれません」とミリケン氏は言う。
硬い表面層はまた、砂丘を今ある位置に固定する役割を果たしているものと思われる。火星のほかの地域にある砂丘には、最近移動した形跡が見られるが、祝融号が調べた砂丘は、まるで時が止まったかのように動かない。
「砂丘が動きを止めた」理由に関して、祝融号は新たな解釈をもたらしてくれたと、今回の研究を率いた中国科学院の惑星科学者である秦小光(チン・シャオガン)氏は述べている。
祝融号のチームは、周辺のクレーターを利用して、凍った砂丘が形成されたのは40万〜150万年前と推定した。地質学的に見ればほんの瞬きほどの時間だ。しかし、それほど最近だという意見には懐疑的な声もある。
「わたしは大いに疑っています」。ブラウン大学の地質学者ジャック・マスタード氏はそう述べ、クレーターを使った年代測定には大きな誤差が伴うと指摘している。
一方、ラデボー氏とミリケン氏は、たとえクレーターを考慮に入れなかったとしても、これらの砂丘は比較的若いのではないかと考えている。もし十分な時間があったなら、風の侵食によって硬い表面層が取り除かれて、砂丘は再び動き始めるだろう。
「これらの地形は、パーシビアランスが現在調べているものや、探査機キュリオシティが過去数年間で調査したどの岩石よりも確実に若いものです」とミリケン氏は言う。なお、2021年5月に火星に着陸した祝融号は現在、予定されていた休眠期間を終えた後も停止状態が続いている。これは太陽光パネルに塵が蓄積したせいだと考えられている。
知られざる太古の激流
祝融号が砂丘を調査している間、パーシビアランスが調べていたのは、勢いよく流れる川の痕跡だ。
衝突によってジェゼロ・クレーターが形成された後、周辺にあった数多くの渓谷から水が流れ込んで深い湖ができたと、科学者らは考えている。これが起こったのは、まだ火星の地表を水が流れていた数十億年前のことだ。
パーシビアランスは現在、湖に水が流れ込んでいたエリアを調査しつつ、今ではカラカラに乾燥しているこの星の表面で、かつて液体がどのように存在できたのかを示す手がかりを探している。
水は何百万年もかけてゆっくりと集まってきたのだろうか、それとも、爆発的な勢いで一気に流れ込んだのだろうか。2月と3月にパーシビアランスによって撮影された画像には、少なくとも1回、猛烈な勢いで水が流れ込んだことを示す証拠が見られる。川の水によって流されてきた巨大な石が、何本もの湾曲した帯状に並んでいるのだ。その様子は、まるで川底にアーチを描くように石畳を敷き詰めたかのように見える。石の大きさは、古代の湖に水が流れ込んだときの凄まじい力を物語っている。
水の勢いが最も強かったのはおそらく、川が湖に流れ込む場所だったと推測されると、パーシビアランスの副プロジェクトサイエンティスト、キャサリン・スタック・モーガン氏は言う。そう考えれば、比較的大きな岩がその周辺に落ちていることに説明がつく。川の水が湖に入った後、流れは遅くなり、合流地点からより離れた場所に、より小さく細かい石が徐々に落とされていったのだ。
英国の国立公園にある浜辺にちなんで新たに「スクリンクル・ヘイブン」と名付けられたこの場所は、15年以上にわたって地質学者たちの興味を引き付けてきた。ここに並ぶ岩は、一般的な川に見られる砂州の名残である可能性がある。砂州は、下流に流される物質が川の縁や中央に蓄積して形成されるものだ。
砂州の痕跡は、川が長い年月の間にどのような変化を遂げてきたかについて多くの情報を提供してくれる。川が蛇行していれば、砂州は川岸に沿って形成される。より流れが速ければ、砂州は徐々に下流へと押されて移動し、水の通り道がどのように変化したかの痕跡を残す。
新たに公開された画像の中でも特に目を引くのは、「パインスタンド」と名付けられた高さ20メートルの巨大な岩石層だ。スクリンクル・ヘイブンよりも400メートルほど下流にあるパインスタンドは、川に大量の砂と岩が堆積してできたものとも考えられる。6階建てのビルほどの高さがあるこの構造物は、完全に水の中に沈んでいたことだろう。
パーシビアランスはすでに、スクリンクル・ヘイブンでサンプルの採取を行っている。いずれ地球に持ち帰り、研究するためだ。
流れの速い川の痕跡はしかし、ここで生命が見つかることを期待している人たちにとっては朗報とは言えないかもしれない。「こうしたタイプの川や湖は、有機物質の証拠を保存するのに適していません」とマスタード氏は言う。
それでもこの場所は、はるか昔に火星を流れていた川の規模や力学について、新たな情報をもたらしてくれた。
「ジェゼロ・クレーターは、川が移動する間に蓄積された堆積物の証拠が良好な状態で保存されているという点において独特な場所です」とスタック・モーガン氏は言う。「こういった川や湖が存在した場所はほかにもありますが、ジェゼロほど壮大な例は思い当たりません」
文=NOLA TAYLOR TILLMAN/訳=北村京子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで6月3日公開)
からの記事と詳細 ( 太古の火星に激流か、40万年前に霜? 水の痕跡続々 - 日本経済新聞 )
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