宇宙誕生から現在までの時間を20回繰り返しても1秒もずれない――。そんな究極の時計となる「原子核時計」が研究者の間で注目されている。その正確さを利用すると、基礎物理学の常識を覆す発見につながる可能性があるという。
「トリウム229を使えば究極の原子核時計ができるかもしれない」。理化学研究所の山口敦史専任研究員は時計の鍵となる物質の性質を明らかにし、4月に英科学誌「ネイチャー」に発表した。原理的には3000億年に1秒しかずれない時計を作れることが確認できたという。より正確な時計が実現すれば、将来の秒の定義になるだけでなく、物理学の謎に迫る研究に使われる可能性がある。
人類は近世から様々な時計を利用してきた。自然界の周期現象を利用して時間を計る仕組みで、例えば、振り子時計は振り子の揺れを使う。クオーツ(水晶振動子)の腕時計では、水晶振動子が1秒間に3万2768回振動することをもとにしており、誤差は数日に1秒といわれる。1秒間に振動する回数が多い、つまり高い周波数の現象を使うほど時計は高性能になる。
時計の「振り子」は古典力学上の現象から、量子力学上の現象にパラダイムシフトした。現在の標準時を刻む「原子時計」は空間を振動しながら伝わる電磁波の周期性を利用している。
原子には特定の周波数の電磁波のみを吸収する性質がある。この周波数の値は一定不変のため、原子が電磁波を吸収したならば特定の周波数が保証されることになる。原子時計は電磁波の周波数を調整し、原子に吸収させるよう安定させ、その後電磁波が振動した回数を数えることで時を計る。1949年に米国立標準局(当時)が初めて試作した。67年にはセシウムを利用した原子時計が国際的な「秒」の定義となった。
セシウム原子時計は電磁波の中では周波数が比較的低いマイクロ波を「振り子」に使う。その後に考案された「単一イオン光時計」や「光格子時計」などの原子時計では、より周波数が高い光が選ばれた。誤差はセシウム原子時計の「約3000万年に1秒」から「約300億年に1秒」になった。原子時計の発明に続く2度目の変革となった。
3度目の変革と期待されるのが原子核時計だ。原子は中心にある原子核と周りの電子からできている。従来の原子時計は電子が電磁波のエネルギーの受け取り手だったが、原子核時計は原子核が受け取る。
電子は外側にある分、地球の磁場や実験装置の影響でゆらぎやすくなる。一方、原子核は内側にあるためノイズの影響を受けにくい。原子を東京ドームとすると、原子核はグラウンド上の1円玉に相当するほど小さい。この差が究極の時計につながるという。
原子核はどの原子にもあるが、研究者は「トリウム229」を有力視する。他の原子核はX線などの電磁波しか吸収しないが、トリウム229の場合は光を吸収できるからだ。レーザーのような汎用装置が使え、時計に応用しやすい。
これまでは机上の見積もりだった。だが山口氏らが実験でトリウム229の原子核が電磁波を吸収した「励起状態」を保てる時間を探り、原子核時計が達成できる性能を理論的に確かめた。「高いハードルを1つ乗り越えた」(山口氏)
正確な周波数の光を出す光源を作り、トリウム原子の動きを止める冷却技術を実装すれば、原子核時計の枠組みができる。数年後の実現を目指す。世界で9グループほどが原子核時計の研究に取り組んでおり、研究競争も激しい。
次世代の時計の研究では日本人が活躍している。多数の原子をレーザー光で閉じ込める光格子時計は、理研の香取秀俊主任研究員が2001年に考案し装置の性能を高めてきた。香取氏は山口氏の原子核時計の共同研究者にも入っている。
原子核時計は物理学の常識を覆す発見につながるかもしれない。物理法則では電子の質量や微細構造定数といった「基礎物理定数」が一定不変を前提にしている。だが宇宙空間に漂う未知の暗黒物質の影響でゆらいでいるのではないかという仮説もある。精密な時計が実現すれば、その揺らぎをあぶりだせる可能性があるという。(土屋丈太)
秒の定義
2030年をめどに、時間の単位「秒」の定義が約60年ぶりに変わる。かつて秒は地球の自転や公転に基づいて定義されていた。現在はセシウム原子が吸収する電磁波の「9192631770回振動する時間」と定めている。
秒は世界共通の単位のルール「国際単位系(SI)」の7つの基本単位の1つで、各国が加盟する国際度量衡総会が決める。単一イオン光時計や光格子時計などが次の定義の有力候補と目されており、両者の加重平均を用いる案なども挙がっている。光格子時計を発明した理研の香取氏はノーベル賞候補ともいわれている。
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