外科医・山本健人
私は、医師として働く中で、大きなジレンマを感じるときがあります。 それは、医学的に最も妥当だと思われる選択肢が、患者さんの自由を著しく奪うときです。
◆「絶食」のつらさ
例えば、こんな場面があります。 私の専門は消化器ですので、胃や大腸、胆のうや膵臓(すいぞう)など、おなかの中の病気で入院する患者さんをよく担当します。 消化器系の臓器に何らかの病気が起こると、しばしば「絶食」が必要になります。病気が良くなるまで、消化に関わる臓器を安静にする必要があるためです。 病気の種類や重さによりますが、1週間や2週間、あるいはそれ以上、患者さんが飲み食いできない。そんな場面もしばしばあります。 私自身も患者を経験したことがあるのですが、「お腹が減るのに食事を我慢しなければならない」というのは、大きな苦痛です。病気を良くするためには必要なことだと分かっていても、です。医師の立場としても、患者さんに絶食を強いるのは、本当に心苦しいことです。 患者さんから、「お腹が減ってつらい」「そろそろ食べさせてほしい」「症状はもうおさまっているから、少しくらい食べても大丈夫なんじゃないか」と言われ、申し訳ない気持ちで、「まだ絶食が必要です。もう少しの辛抱です」と伝えることもよくあります。 希望通り食事を再開してしまえば、お互い、どれほど気持ちが楽になるか、と思うこともあります。しかし、医学的にまだ絶食が必要な場面で、安易に食事を再開し、病状が急激に悪化してしまうと、これまでの我慢が水の泡になります。 中途半端な「優しさ」が、かえって苦痛の時間を長引かせてしまうリスクがあるのです。 患者さんに絶食の大切さを十分に説明し、ご理解いただく必要があります。
◆患者さんの人生にとってベストを探る
医療現場では、こうした事例は多々あります。 医学的には確実に妥当な治療でも、それが患者さんの自由な選択を著しく妨げるとき、医師と患者さんの間での意思疎通は、極めて丁寧に行われなければなりません。 もちろん、「医学的なベスト」が、常に「患者さんの人生にとってのベスト」とは限らないこともあります。 例えば、こんな場面があります。 進行したがんにかかった高齢の患者さん。全身にがんが広がっていて、手術では治癒が目指せない。強い抗がん剤を使えば、最も長く生きられることが医学的に判明している。抗がん剤治療が最も有効な選択肢であることは間違いない――。 一方で、抗がん剤治療には副作用もあります。副作用が強く出れば、これまでのように趣味を楽しめなくなるかもしれません。高齢の患者さんの場合、もしかすると、抗がん剤治療によって命を長らえることより、短くとも充実した余生を送ることに、大きな価値を見出すかもしれません。 患者さんの人生にとってのベストは、医師が一方的に決めるものではありません。医学的な情報を十分に伝え、丁寧に意思疎通を行った上で、最終的には患者さんが決めること、あるいは、患者さんと一緒に決めることです。 たとえ全く同じ病気、同じ病状の患者さんであっても、その人が受けるべき医療に、一つの「正しい」答えがあるわけではありません。 医師と患者さんがお互い、少しずつ歩み寄り、納得できる答えを一緒に探すことが大切なのだと思っています。
山本 健人(やまもと・たけひと)
医師・医学博士。2010年京都大学医学部卒業。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、感染症専門医、がん治療認定医、ICD(感染管理医師)など。Yahoo!ニュース個人オーサー。「外科医けいゆう」のペンネームで医療情報サイト「外科医の視点」を運営し、開設3年で1000万PV超。各地で一般向け講演なども精力的に行っている。著書に「医者が教える正しい病院のかかり方」(幻冬舎)、「すばらしい人体 あなたの体をめぐる知的冒険」(ダイヤモンド社)など多数。
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