「今」を正確に捉えるために必要な「長い時間軸」
さまざまな課題を研究する学者。課題を取り上げるジャーナリズム。読み手は何を受け取るか(写真:Graphs/PIXTA)
ジャーナリズムの世界では、無数の問題が毎日語られている。しかし問うに値する問題とは何なのだろうか。
私が編集委員長を務めている5月発行の『アステイオン94号』では、新旧編集委員全員が「今何が問題なのか」を論じることにした。問うに値する問題とは何で、それがなぜ今なのかは、誰の目から見た問題で、誰にとっての今なのかということと関係している。次から次へと生起する問題に対処を迫られている人々にとっては、何が問題かなどと言っているのは暇な学者の観念論に思えるかもしれない。実務家や彼らを日々追いかけているジャーナリストが、アカデミズムの世界に身を置く専門家を、視野の狭い現実離れした観念論者だと思いがちなのはそのためだろう。
私自身も「ああでもないこうでもないと言っているばかりで、結局どうなのだ」という反応をちょくちょく受ける。確かにそのアカデミズムの世界では、研究者は学術誌に論文を書き、学界の専門家集団から評価を得ることが期待されている。分野にもよるだろうが若い研究者たちは、査読付きの雑誌、それも英文の雑誌に論文を発表することが、業績としてますます重視されるようになっている。いうまでもなく、こういった学術誌は一部の専門家集団の中でしか読まれることはない。
専門的知見とジャーナリズム
他方で厳格な知的手続きに従って地道に研究しているこうした専門家にとっては、性急に結論を求めて、善玉と悪玉、右と左とか保守派と進歩派といった具合に、簡単にレッテルを貼って済ます傾向のあるジャーナリズムは、軽薄だとしか見えない。そのため、マスメディアでの露出を喜ぶ専門家もいるが、関わるのを意識的に避けるまじめな研究者もいるくらいである。
ともあれ何が問題なのかは自明ではなく、その道の専門家にしか見えない問題、専門家によるじっくりとした考察を経ると、違って見える問題は少なくない。
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