Q: 政府によると、2020年4月から「高等教育の無償化」が始まり、年収270万円未満の住民税非課税世帯は実質、授業料が無料になります。とはいえ、年収350万円以上の世帯は上がることになって、「高等教育の無償化」といってもごく一部みたいです。フランスは大学まで学費が無料ということで有名ですが、なぜ日本はホントの意味での「高等教育の無償化」ができないのでしょうか?
A:大学の授業料は安かった
高等教育の無償化は日本の未来のためにはぜひとも必要な政策だと思います。今度のようなごまかしを「無償化」と呼ぶのは止めてほしい。
昔は大学の授業料はほんとうに安かったです。僕が入学した1970年、国立大学の授業料は年額1万2000円でした。月1000円。入学金が4000円、半期授業料6000円ですから、1万円札を窓口に出すと入学できた。たしかに当時とは物価も違いますけれど、僕が大学1年のときの学習塾のバイトが時給500円でしたから、2時間バイトすると、月謝が払えた勘定です。
ですから、国公立大学なら、仕送りなしで苦学ができました。私立大学でも年額10万ぐらいでしたから、バイト仲間では苦学どころか、親に仕送りしていた学生さえいました。
でも、この「苦学できる」というシステムそのものが実は秩序壊乱的な要素をはらんでいました。60年代末から全国で学園闘争があれほど広がった理由の一つは、学生たちのふるまいを親たちがコントロールできなかったことにあります。だって、苦学できたから。親が子どもの生き方にあれこれ干渉してきたら「じゃあ、いいよ。授業料自分で出すから、もう口出すな」と啖呵を切ることができた。だいたい地方出身者は親元に帰るのは盆と正月くらいで、子どもたちが大学で何をしているか、親には知る術もなかった。
だから、学園闘争が終息した後に政府部内でも「どうやって学生たちをこれから抑え込むか?」については知恵を絞ったのは当然なんです。そして、そのときに二つアイディアが出た。一つはキャンパスを郊外に移転すること。「神田カルチェ・ラタン」と呼ばれたお茶の水界隈には大学が軒を並べていましたから、学生たちはキャンパスに自由に出入りして、教室や部室を自由に活動拠点にできた。だから、学生運動を再燃させないためには、学生たちを地理的に分断し、キャンパスを自由に出入りさせないことが必須だった。その秘策が郊外移転です。人気のない郊外に鉄筋の高層ビルを建てて、学生を閉じ込め、カードで出入りを監視するようにした。
そして、もう一つが授業料値上げです。70年代に入るとすぐに国立大学の授業料が3倍に引き上げられました。別に値上げする財政的必然性なんかなかったんです。だって、まさに高度成長期まっさかりで、政府にはじゃんじゃん税収が入ってきた時代なんですから。1万2000円を3万6000円にする必要なんかまったくなかった。
学生の自由を奪うためだった
でも、これは国家財政の問題じゃなかったんです。親の懐を直撃するためだったんです。そのあとも授業料は引き上げ続けられ、今は国立大学の授業料は54万円、入学金は28万円です。80万円の金なんか高校生に用意できるはずがありませんから、大学に入りたいなら、親に出してもらうしかない。月々の月謝が5万円だと、時給1000円のバイトを50時間しないと払えない。僕が学生の頃は月2時間のバイトで授業料が払えたんですから、とんでもない話です。これじゃ、とても「苦学」なんかできるはずがない。
だから、授業料値上げによって変わったことが二つあったわけです。一つは受験生の進路決定権が完全に親に握られたこと。1万円で国公立に入学できる時代なら、どこの大学のどこの学部に行くか、親と意見が違ったら、「だったら、自分で金出すから」と進路を自己決定することができた。それがもうできなくなった。もう一つは学生たちへの監視が強化されたこと。親たちは相当額の「教育投資」を強いられたわけですから、それを回収することに必死になる。子どもたちの暮らしぶりをうるさく監視するようになった。ちゃんと勉強しているのか、単位は取れているのか、4年で卒業できるのか、離れていても気にするようになった。
授業料値上げがめざしていたのは「学生たちから大学生活における自己決定権を奪う」というものでした。数十万人の学生たちひとりひとりを相手にしていては、大学も政府も管理することはできません。でも、授業料を大幅に値上げしたら、学生たちは行動の自由を失い、親の監視下に置かれるようになった。学生管理をアウトソースして、管理コストが劇的に軽減された。当時の文部省にはなかなか知恵者がいたわけです。
ですから、今でも国が授業料の金額を決定するときの基準は「学生たちが必死にバイトしても払い切れないが、親が無理をすればなんとか出せるくらい」だと思います。もうどんな学生も苦学ができなくなった。たしかに学生管理には成功して、大学は政治活動の拠点ではなくなりました。でも、同時にそのせいで日本の大学の学術的生産性も低下した。
「苦学する」というのは要するに、周りの人間たちが口を揃えて「そんなことをやめろ」と言ってもそれに従わないで自分のしたい学問をすることです。苦学できた時代には、僕たちは自分の行きたい学科を選ぶことができた。もちろん、親たちはその頃も「実学」を子どもに求めました。でも、子どもたちは「哲学がやりたい」とか「映画を作りたい」とか「考古学がやりたい」とか、全然お金になりそうもない学問分野にふらふらとさまよい込んだ。子どもってそういうものですからね。
大学の授業料が無償だったら
でも、「教育投資した授業料を確実かつ迅速に回収したい」というような「金主」の金勘定に制約されることなしに大学で好きなことが勉強できたというのは、ほんとうにありがたいことでした。僕の場合も、親は「法学部に行ってほしい」と思っていましたが、僕は文学部フランス文学科というぜんぜん実学じゃない専門分野に進学してしまった。でも、そういう無謀な選択が許されたのは、自分で授業料を払うことができたからです。
今はそれがもうできません。だから、大学生の相当数は「不本意入学」になる。そんな大学のそんな学部にほんとうは行きたくなかったけれど、そこじゃないと「金を出さない」と親が言うから、しかたなしに入学したのです。でも、こういう「恨み」は根が深い。
子どもが不本意入学を強いた親に「進路選択を誤った」ことを思い知らせるための一番有効な方法は「ああ、金をどぶに捨てた」という後悔をさせることです。だから、毎日不機嫌に大学に通い、成績は最低レベル、卒業したけれど、何一つ知識も技能も見識も身につかなかった……という事実を親に見せつけることが不本意入学生に許された最も効果的な報復なんです。だから、子どもたちは現にそうしている。
いま、日本の大学の授業料がほんとうに無償だったら、子どもたちはみんなそれぞれ好きな専門分野を選ぶはずです。でも、そのことの受益者は子ども自身だけではありません。日本社会そのものが受益者になる。もちろん、授業料が無償でも、親や教師は苦い顔をして「そんなことやっても食えないぞ」というような忠告はするでしょう。子どもたちがそれに抗って自分がやりたいことをやった場合に、自分の選択が正しかったことを証明する方法は一つしかありません。それは、毎日機嫌よく大学に通い、よい成績を取り、専門的な知識や技術を身につけて、「ほら、この分野を専門にして正解だったでしょ?」と胸を張ることです。
そういうものなんですよ。今の学生たちがぜんぜん勉強しないのは、怠慢や気の緩みじゃないんです。勉強しないように努力しているんです。親に人生を決められたことへの恨みを晴らすために。もちろん無意識にやっていることですから、本人だってそう言われたらびっくりするでしょうけれどね。
だから、僕は大学にはほんとうに無償化してほしいと思います。その結果、何十万人という若者たちが「そんなことやったって、食えないぜ」という呪いの言葉を吐きかけた人たちに対して、自分の選択の正しさを証明するために「いつか見てろよ」と必死で勉強するようになったら、それによって日本の集団的な知的パフォーマンスは一気に向上するはずです。ここまで国運が衰退した日本をV字回復させる起死回生の方法は「学校教育の全部無償化」です。僕はそう声を大にして申し上げたいですね。
うちだ・たつる
1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、哲学者にして武道家(合気道7段)、そして随筆家。「知的怪物」と本誌スズキ編集長。合気道の道場と寺子屋を兼ねた「凱風館」を神戸で主宰する。
Words 内田 樹 Tatsuru Uchida
Illustrations しりあがり寿 Shiriagarikotobuki
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March 20, 2020 at 06:45PM
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