東日本大震災では、海溝型と言われるプレート境界で発生した地震が巨大津波を起こし、多くの人の命が奪われました。あれから10年。私たちは次の津波で命を守ることができるのでしょうか?
東日本大震災では、死因の9割が溺死です。津波さえなければと思わずにはいられません。
なかでも、胸が痛むのは、子どもたちが犠牲になったケースです。私たち大人ができたことがもっとあるのではないかという後悔をずっと突きつけられてきた10年です。
判決や遺族の話、地形まで考慮して得た結論とは
日本弁護士連合会 災害復興支援委員会副委員長の永野海さんも、そんな想い抱き続けた1人です。事務所がある静岡県は、南海トラフの海溝型地震で津波到着の予想時間が短く、1分という地域もあります。それでもこどもたちの命を守り抜くには何をしたらいいのか、永野さんは、津波訴訟の判決を読み解き、遺族の話を聞き、現地の地形や地層まで調べてこられました。
そこで分かったことは、「3つのS」をすべてクリアしないと、命を守ることが難しいという事でした。
「3つのS」とは、「SWITCH」「SAFE 」「SAVE」
「3つのS」とは、「SWITCH」逃げるスイッチ 、「SAFE 」安全な場所とルート「SAVE」避難後も命を守るです。
津波訴訟になった事案で、命を○や×で表すことには抵抗があったと言う永野さんですが、多くの人が直感的に理解できることを優先して図解されています。それぞれを解説していきます。
最初のS「SWITCH」逃げるスイッチは偶然に左右されないものを
上記の図を見ると、最初のSの「SWITCH」逃げるスイッチを入れる事ができなかったため避難できなかったケースが多くあります。永野さんは以下の様に分析されています。
「宮城県石巻市の大川小学校では逃げるスイッチが入りませんでした。そのため、校庭に約50分とどまり74 人の児童が亡くなっています。さらに、次のSAFEにも関わりますが、裏山に避難しようとした児童を引き戻してしまいました。これに対し、逃げるスイッチが入ったのが、釡石東中です。津波避難訓練と防災教育を事前に徹底していた同校での震災2日前の三陸沖地震の対応が印象的です。その時、学校は避難行動をとらなかったため、生徒から「なんで逃げないの」と言う声があがっていました。そして、迎えた震災当日、生徒は先生の指示を待たず、フェンスを乗り越え避難場所まで、走って行きました。先生も『そのまま行け』と叫んだそうです。」
では、どうすれば誰もが逃げるスイッチを入れられるのでしょうか?
ハザードマップを事前に確認することは必須ですが、それだけで逃げるスイッチは入りません。ハザードマップも津波の高さも到着予想時間も想定でしかなく、想定以上のことが起こりうるのが自然災害です。
さらに、逃げるスイッチを決めていても偶然に左右されるものでは確実な避難につながりません。津波警報を待っていても、放送施設が地震で破壊されたり、津波避難の広報車が来るのが遅かったりと、偶然に左右されてしまうのです。
確実に避難のスイッチをいれるためには、偶然に左右されない客観的な基準が必要です。どうすればいいのでしょう?
「地震の揺れの長さと地震の規模は関係があるため、少なくとも1分以上揺れたら大津波を想像してほしい」と永野海さんはおっしゃいます。
少なくとも1分以上揺れたら大津波を想像して逃げるスイッチを入れる。
まず、この事は心に刻んでおきたいです。
「SAFE」安全な場所とルート
さらに、逃げるスイッチを入れた後に、より高く、各自が安全な場所に安全な方法で避難する必要があります。言葉では当たり前のように思えても、実際はかなりの困難や混乱がありました。東日本大震災では、気象庁の当初の予想以上の津波が到着しています。逃げるスイッチは入っていたのに、高い場所を選ぶより、皆が行く方を選んでしまったり、高台に移動中、川に向かってしまったために津波にのまれたケースもあります。
ボードゲーム津波避難マスター(旧 津波避難すごろく)で「SAFE」を自分の頭で考える
もう2度とそんな悲劇が起こらないよう、永野さんが作成したのがめざせ津波避難マスターのゲームです。HPでダウンロードでき、ゲームルールも記載されています。
仮想の街で津波から避難するために、アイテムを入手したり不要と判断しながら安全な場所をめざします。
そして、最後にサイコロを降ります。
また、サイコロは、津波の到達時間を決めるのにも使われています。逃げている途中の低い場所にいるときに津波がやってきてしまえば助かりません。
いつ、どんな高さの津波がやってくるかは最後までわからないのです。その中で、どういう判断と選択をするのか自分で考え続けるためのゲームです 。
「SAVE」避難後も命を守る 保護者等への引き渡しで失われた命
最後に忘れてならないのが「SAVE」避難後も命を守るです。
標高20m以上の高台にあった宮城県石巻市私立日和幼稚園(現在休園)では、地震後その場に止まれば助かっていた立地でした。混乱した状況の中で、園は保護者に園児を引き渡そうとします。いつもはバスルートが異なり、同乗していなかった園児も海に向かうバスに乗せてしまい、その結果、4〜6歳の園児5名が命を落としています。津波の後、火災も起こっています。永野さんは、「事前に安全な避難場所に止まる事を決めていないと、人は判断を容易に誤ることを教えてくれる」と述べています。
引き渡しによる悲劇は、少なくありません。石巻市大川小学校では、児童の引き渡しに時間がとられたことも、児童を校庭に50分とどめた原因のひとつになっていました。東松島市野蒜小学校では、迎えにきた同級生の保護者に生徒を引き渡したため、生徒は自宅で津波にまきこまれ命を落としました。上記の事例は訴訟になったため、広く知られる様になりましたが、保護者が迎えに行ったことが原因で、津波に巻き込まれた場合は、訴訟にならならないことがほとんどです。そのため、どれほどの親子が引き渡しにより犠牲になったのか、報道されることは少なく、ほとんど知られていません。
逆に引き渡さなかったため、助かったケースもあります。福島県浪江町の請戸小学校では、引き渡しをせず素早く避難を開始し、2キロ先の大平山についた時に津波が襲いました。引き渡しをしていたら助からなかった可能性がありました。釜石市の釜石東中学校や石巻市の雄勝小学校では、保護者も一緒に避難して助かっていますし、山元町立中浜小学校でも保護者とともに屋上に避難し、降りる際には条件をつけて安全を図りました。せっかく先行する2つのSがクリアできても、最後まで安全な場所にいて避難後も命を守り続ける3つめのS、「SAVE」も達成できなければ命は守れません。保護者に引き渡さない決断も重要なのです。
「3つのS」すべてクリアしないと命は守れない。そのための不断の努力をしているのか?
これまで見てきたように、「3つのS」すべてをクリアしないと命は守れません。そして、これは、津波避難だけの問題ではない事にお気づきでしょう?水害でも同じ問題が起きます。児童の引き渡しの問題は、事前に園や学校としっかり話し合っておく必要がありますが、できていますか?
この「3つのS」に真摯に挑み続ける、おおつちこども園の取り組みを知っていただきたいと思っています。
おおつちこども園(当時の名称 大槌保育園)では、東日本大震災以前から、町の指定避難場所では到底こどもたちを安全に避難させられないことを危惧していました。園児の足では遠すぎることや、避難先の野原では0歳児を含む100人の園児を守ることが難しいことが予想されたからです。そのため消防の津波シミュレーションや調査、そして地域の人と協力体制を整え、裏の高台のコンビニエンスストアに避難することにしていました。
ところが、当日、津波はコンビニエンスストアを超えてしまいます。そこで、急遽、みなで駆け上がったのが上の写真の右奥の山の斜面です。登れないこどもたちは、保育園の先生たちが背負い、また、こどもたちが登れるように先生たちが下から押しあげ、さらに上からひっぱりあげと、先生たちのとっさの機転と園児たちの頑張りで、その場にいた園児40名は全員助かりました。
このように、事前の避難を考えてきた園でしたが、避難途中で保護者に引き渡しをした70名の園児のうち、9名が津波で命をおとしてしまいます。
園はこのことを深く後悔し、震災後さらに対策をとっています。
「SWITCH」逃げるスイッチ はかわらず実施
「SAFE 」安全な場所とルート
- 0歳児を含む100名が安全に避難できるSAFEな場所(後述SAVEの理由も関連)として、車が不可欠となることに葛藤をかかえながらも、避難場所に内陸部の高齢者施設と避難所協定を締結。
- 3日間の水・食料・オムツなどもこの施設に預けているため、園は手ぶらでこの施設への津波避難を開始できる。
- 100名を超える全ての園児を最悪でも5分以内に全ての保育士の車に分散乗車させるため、園児が乗り込む車を決め、避難チームの番号を駐車場に書く。
- 保育士の通勤車両も、必ず避難時の迅速な出発のため、前向き駐車を一切禁止している。
- 一番リスクが高い4月にはシークレット訓練を3回、その後も3月までシークレット訓練を続け、最後には2分以内に全員が車に乗り、避難場所に出発できるようにした(渋滞対策)。
- 4月の訓練開始時には新入生や新入職員はみなパニックになるが、最後には完璧な避難ができるまで訓練。
「SAVE」避難後も命を守る
- 現在は、こども園では引渡しをせず、地震後5分以内に絶対に子ども園を出発し、高台の避難場所にいくことを繰り返し保護者に伝えている。
- 東日本大震災時に最後の保護者への園児引渡しが3日後だったことから、避難後も3日間園児が安全に過ごせる内陸部の老人福祉施設と避難所協定を締結。
おおつちこども園の園長の八木澤弓美子さんは、こう話されています。
津波で犠牲になったお子様のご遺族がおっしゃる言葉があります。「私たちは何かの教訓にするためにこどもを生み育てたわけではない」と。
だから、「せめて」教訓にしないと子どもたちに申し訳がたたないと。
私たちは、真摯にご遺族や子どもたちの無念を受け止め、津波や水害、地震、火事から、こどもの命を守るための対策をとっているでしょうか?漫然と実施する防災訓練や保護者への引き渡しになっていないでしょうか?「3つのS」が意識されていますか?
東日本から10年の今、あらためて皆で協力し、「覚悟をもって」「完璧にこどもを守る」、「3つのS」を意識した対策をとっていかなければと思います。
からの記事と詳細 ( 津波で生き残るために必要な「3つのS」と問われる覚悟 東日本大震災から10年 #あれから私は(あんどうりす) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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