1980年代後半から1990年代前半は、F1がよりプロフェッショナルなスポーツになった時代であるとも言える。アイルトン・セナはその頃、ドライバーとして週末に挑む姿勢を変え、精神的および肉体的な準備を新しいレベルに引き上げたと信じられている。
セナがそのように変わっていったこと、その最大の原動力は、アラン・プロストとの激しいチームメイト対決にあったと言えるだろう。セナはプロストに打ち勝つため、あらゆる必要なことを試した。
そのうちのひとつは、理学療法士のヨゼフ・レベラーとの密な関係を築くことだった
レベラーは1988年の初め、F1の世界にやってきた。当時29歳だったレベラーは、すぐにロン・デニスが率いるマクラーレン・ホンダに関与することになった。そしてそのシーズン、マクラーレンはセナとプロストのコンビと、圧倒的な完成度のMP4/4を擁し、16戦15勝という驚異的な成績を残した。
Ayrton Senna receives a hand massage from physio Josef Leberer ahead of the 1988 Mexican Grand Prix
Photo by: Sutton Images
レベラーのような若い新加入の人物にとって、完璧主義者であるデニス率いるマクラーレンの環境は、威圧的なモノだった。
「多かれ少なかれ、私には経験があった。しかしそれでも、彼らが何を期待しているのか分からなかった。だから私にとっては大きな一歩だった」
レベラーは2018年にmotorsport.comの取材に対してそう語っている。
「直感として学んだことを試そうとし、そしてベストを尽くそうとした。(師匠であるウィリー)ダングル博士はこう言ったんだ。『君はそれに備えることはできない。ただ、仕事をするだけだ。君はセラピーとコミュニケーションが上手いからね』と」
レベラーはその後、F1で最も扱いづらく、その上競争力のあるふたりの信頼を得なければならなかった。それは難しい課題だとも言えた。しかし1988年のブラジルGP、マクラーレンと初めて仕事をしたイベントで起きた事件は、彼に変化をもたらし、道筋を見つけるためのチャンスを彼に授けた。
「金曜日、プロストはアクシデントに遭い、頭痛を抱えていた」
そうレベラーは語った。
「私はひとりきりだったから、そのアクシデントの後には大きなプレッシャーがあった」
「そのレースが、私にとって最初で最後のレースになるかもしれないと、少し恐れていた。でも最善を尽くそうとし、それがうまくいったんだ。彼はすぐに元気になった。それは、私にとって素晴らしいことだった」
「当時のマシンは、肉体的にはドライブするのが難しかった。つまり、ドライバーたちは私を必要としていた。彼らは夕方私のところにやってきて、セラピーやマッサージをするように頼んできた。ロン・デニスは、私がやろうとしていることを理解してくれていたので、やりたいようにさせてくれた」
「アイルトンとプロストは、どちらも非常に強い性格の持ち主だった。私は、ふたりに時間を割くようにした。プロストは少し年上だったけど、セナは私とほとんど同じ年齢だった。彼は自分への周囲からの期待を受け、自分自身でとても規律を持っているように見えた」
Josef Leberer watches on as Ayrton Senna gets ready to go out on track
Photo by: Sutton Images
最初にプロストを担当したにも関わらず、レベラーが関係を深めていったのはセナだった。でもそれは、偶然ではなかった。
「(ブラジルGPの)日曜日の夜、突然彼から電話があった。私はその週末に疲れ切っていたので、眠りたいと思った。当時の私は、彼がセラピーやマッサージを頼んできたと思ったんだ。しかし、彼は夕食を共にしようと僕を誘ってくれた。それはとても素晴らしいことだと思った。誰もが、彼と食事をしたいと思っていたからね。市長も、そして大統領も……でも彼は、私を誘ってくれたんだ」
「何年も後になって、ある友人が打ち明けてくれた。セナは私がプロストに対して施したことを見ていたらしい。そして『この男は使えない人物ではない。彼を僕の近くに置いておくのは良いことだ……』と思ったから、声をかけてきたようだ」
「彼のことをとても良い人だと思った時、私はおそらく少し素朴すぎたかもしれない。アイルトンはとても敏感な人物だったが、相性はよかった。そして彼は、人々に好感を与えた」
「非常に成功した1週間だった。日曜日、デニスでさえ感謝の気持ちを示してくれた。デザイナーのゴードン・マーレイとさえも友人になった。こんな良いスタートを切れるなんて、夢にも思わなかった」
■いつもと違う”サラダのドレッシング”?
1988年、F1における精神的、および肉体的な準備は、まだまだ始まったばかりだった。レベラーとセナは、その基準を引き上げるという面で、先駆者としての役割を果たした。
「アイルトンのような人物は、他にはいないと思う。彼にとっては、全ての詳細が重要だった。その点では、信じられないほどだった。彼は私の行動を高く評価してくれた。そういう意味では、彼と一緒に仕事できたのは嬉しいことだった」
「医療の面からも、彼はスポンジのように全てを吸収していった。食事や、その他全ての要因でさえ、彼にとってはとても重要だった」
「私は食事や調理など、全てを準備していた。いくつかの国では、それはとても難しいことだった。我々が求めているようなケータリングはなかったんだ。私はどこかで調理し、2枚の皿の上に全てを準備しなければいけなかった。新鮮な素材を入手するのは、特に重要だった」
「いつだったか、サラダを用意する時、時間が足りなかったため、他の人に彼のためのドレッシングを作るよう頼まなければいけなかった。でもそれを食べた彼はすぐに『これは君の作ったドレッシングじゃないね。少し違う』と言ったんだ」
Josef Leberer on the grid with Charles Leclerc in 2018
Photo by: Mark Sutton / Motorsport Images
1994年にセナが亡くなった後も、レベラーはF1に留まり、1997年からはザウバーに加入した。彼はそこで、キミ・ライコネンやフェリペ・マッサ、セバスチャン・ベッテル、シャルル・ルクレールなど、未来のスター候補たちとともに仕事をした。
レベラーは、若いドライバーたちから、セナのことに尋ねられることが度々あったという。
「何人かの若いドライバーは、『あなたはセナと働いていたの? 彼はどんなことをしていたの?』と私に尋ねる。彼らのトレーニングプログラムの中で、手助けになるようなことはほとんどなかったけどね」
今のF1ドライバーたちは、非常に洗練されたアスリートだと言える。肉体的なレベルははるかに高く、ドライバー自身で違いを生むことができるような領域ではなくなっている。
しかしその一方で、精神面は本質的に個人的なモノである。測定するのは難しく、今もレースの行方を左右する部分である。レベラーはセナとの仕事で学んだ教訓を、今も応用しているという。
「アイルトンにとっては寝る前が、セラピーをするのに最適な時間だった。土曜日には緊張感が高まっている。彼の頭を何が通り抜けても、彼の身体の振動と緊張を感じることが私にはできた。それで私は彼の注意を引きつけ、セラピーに集中しようとした。スイッチをオフにしてリカバーするのが重要なのだ」
「ずっと180の心拍数で過ごせるわけではない。心と身体にとって、落ち着くことが重要なんだ。寝ている間だけ、成長することができる」
「プロストや(ナイジェル)マンセル、(ネルソン)ピケらについて考えているなら、プロセスを妨害することになるだろう。アイルトンはこういう道を進むことを学んだ。そしてそれは、彼が学ぶことができた最も重要なことのひとつであったと思う」
「そのことは、私のような人間にとっては、とてもエキサイティングで、本当に充実したモノだった。他の人と同じようなことはできる。でももしアイルトンが私にそうさせず、そういったことを要求したり受け入れたりしなかったなら、私の存在価値はなかっただろう」
「セナが『チームを移籍する時も、常に一緒に来て欲しい』と言っていたのを覚えている。それは良いことだ……そうだろう? つまり、私はそれほど愚か者ではなかったということだ」
「マクラーレンにやってきて、この世界でトップのふたりと仕事をするのは、信じられないほど素晴らしいことだった。誰でも、セナとプロストと仕事をすれば、同じことができたと言えると思う」
"必要な" - Google ニュース
May 03, 2020 at 06:20PM
https://ift.tt/3f9M3v8
F1に必要な肉体と精神を新たなレベルに引き上げた……セナを特別にしたモノ - Motorsport.com 日本版
"必要な" - Google ニュース
https://ift.tt/2ONk2OH
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update
No comments:
Post a Comment